十戒
皆様もご存じのことと思いますが、聖書にモーセの十戒があります。
私達の教会では、今十戒について学んでいます。今回はその中の第六戒についてご一緒に考えてみたいと思います。
(以下、兼松一二牧師の文章になります。)
第六戒 出エジプト記20章13節
(あなたは)殺してはならない。
「殺してはいけない」と聞くと、みんな「それは当たり前のことではないか。そんな怖い事などできません」と言います。しかし、ニュースで「殺人事件」が知らされて、ドラマでも殺人がその物語の導入になっています。
旧約聖書には創世記4章で、兄が弟を殺していく記事を見ます。創世記9章6節で「人の血を流す者(殺人者)は人によって血を流される。神は人を、神のかたちとして造ったからである」と、人の命の尊厳を述べて、命の尊厳を護るべきであるとのべています。ただ出エジプト記21章12節を始め、死刑のことが語られています。刑には、石打の刑、火刑、またミシュナの「サンヒドリン」7:3という本には、打ち首刑、絞殺刑がとりあげられています。死刑の事と共に合わせて、「逃れの町」が国内に6つ用意されています。(出エジプト記21章13節、民数記35章6~34節、申命記4章41~43節他)。逃れの街は、そこに入ったならば永久に保護される場所というのではなく、殺人の状況が明白に検証されるまで保護される場所として定められています。
新約聖書には、殺人に関しては、ユダの自殺、迫害という内容の殺し、そしてイエスさまの死刑と、神の最後の裁きによる死刑が記されています。
申命記21章18~21節を見ると、神は犯罪者を罰する権利を、犯罪者の親には与えず、公権に与えています。ですから「殺してはいけない」という戒めは、個人が個人に対してしてはならないという事で、公権に対して禁じている戒めではないことが分かります。
では、社会正義のために、殺人者に法的罰則を定め、人を殺すことが(死刑)正当化されるのでしょうか。複雑なことがもうひとつ「戦争」です。普通「侵略」の戦争は正義のための戦いの部類には入れない。戦争が「正義のための戦い」という時は、相手の国が戦いを仕掛けてきた時、応報として処罰して行く国家的戦いを言います。正義のための戦いという思想は、キリスト教ではAD4世紀からとりあげられてきています。「欲が絡んだり、略奪をたくらんだ乱暴な戦い、罰を受けるに値する敵」には、戦わざるを得ないかもしれない。国家が、他国からの侵入、侵略に対し、自国の国民の保護のために罰する意味で戦うのはやむを得ないだろう。
このことに関して、キリスト者は常日頃「福音」を語っていなければならないと思います。神さまと一人ひとりが和解して、和解の尊さと力ある喜びをしっていることを証しして行くべきです。また教会生活で、人種や位の違いはあっても、同じ救い主に繋がり一つの共同体であることを身に付けているべきだと思います。信仰を飾り物位に考えているなら、いざと成ったら、ただ必死に我が身を護るだけでしょう。用心、用心。
マタイ5章21節以下を見ると、私達は手でも、心でも口でも態度でも人を殺してはならないことが示されています。25章42節以下では他人を放置しない事も示されています。命の危険にさらされている人を見殺しにする人は黄泉に下ると述べられています。
第七戒 出エジプト20章14節
(あなたは)姦淫してはならない。
すでに結婚している人が、自分の配偶者でない人と性的交わりすることを、「姦淫」といいます。結婚していない人が、あたかも結婚しているような性生活をしていることも「姦淫」といいます。つまり、性的にだらしない生活を「姦淫」といいます。
「姦淫を行う人は思慮がない」「姦淫を行う人は自らを滅ぼす」(箴言6章32節)
姦淫を行うと恐ろしい結末を迎えることになるし、汚名がついて回ることが分かっていながら、さっぱりなくならないのが現実です。また、どの人にも思春期から死に至るまで、この類の欲は力を持っています。この類の欲ははびこるばかりで、油断のならない力を持っています。
古代イスラエルにおいて、姦淫した場合死刑にされました。22章22節、レビ20章10節。なぜならば、姦淫は財産侵害の罪であること、社会を支えるのが家庭であり、その家庭を壊す事になり、姦淫は社会を信用ならないものとし、不安定な社会にしていくし、人の生き方が弱くなっていくことに繋がったからです。
歴史が進むと、姦淫で死刑にされることはなくなったが、「離婚」が認められ、離婚された女は全ての権利を剥奪されるのです。淫夫はムチ打たれ、姦淫した女と結婚することは許されなかったようです。
姦淫の罪をなくすために色々と規定を作っても、姦淫がバレテ辱められても、この罪は一向になくならない。こういう中でどうしたらよいのでしょうか。
今から50年ぐらい前まで、日本には参考になるよい慣習がありました。またイスラエルにも日本と似た習慣がありました。
- 息子や娘が結婚年頃になると(男は25才位、女は21、2才位)親や仲人がお見合いの段取りをしました。家柄、健康状態、経歴などを引き合わせたい人の両家で交換します。
- お見合い、つまり結婚させたい両人を直接会う機会を作り、デートさせます。
- 両人が結婚しても良いと決心したなら、その後、婚約式をし、結納を交わし合います。価値あるものを贈ります。婚約は結婚を前提として行います。正式に結婚するまで、色々なことを確認し合う期間です。たまには婚約しても結婚に至らないケースもあります。結納金は、男性側から女性側に渡され、これで結婚の支度をします。
- 結婚式を挙げます。式では「結婚の約束(誓約)」をします。それぞれが両親から自立して、お互いが「自分は配偶者の者となる」決意、覚悟をしっかり持ち、公言する事。この風習は、日本とイスラエルが、不思議なほど似ています。そして、そのような時代に離婚は圧倒的に少なかったのです。日本においては、そのような風習が行われていた時代は、身分制度の強い社会であったと思います。その為に、よく「内の子と相手の方は、つり合いが取れているだろうか」ということが言われていました。身分において恵まれなかった人にとっては、辛い時代であったと思います。
今、私達は、確認をし、また、神様の恵みを頂いている立場にあることを理解しましょう。
- 聖書から「純潔、貞操」を、また「不品行を避けなさい」と繰り返し教えられています。教えを聞く時、私達には理解が出て来ると共に、良心が造られます。創世記 2:24、エペソ 5:22~33、Ⅰペテロ3:1~7、Ⅰテモテ2:9~15、Ⅰコリント3:18、19。
- 愛がなければ結婚しないと思いますが、今、年を重ねて分かってきたことは、「愛は結婚した後で造られていき、育てられていく」のではないか。結婚前には、相手を慕う感情の強さを愛と受け止め、それに乗じて情欲が先走って行きます。しかし結婚して「私達は一つである」という感覚を持って来てから、時間が進むにつれ、相手の誉は自分の誉となり、相手の失敗は自分の悲しみになると感じて来ると、相手を支え励まそうとします。このようなふるまいが愛なのだと分かってきます。
- 聖書を通して、継続して「愛」を教えられていく機会があります。神さまがキリストを通して示してくださった愛、神さまのみことばに従っていくなかで造られる私達の愛、神さまの導きで与えられた配偶者に心遣いをして、共に生活していく中で身に付けて行く「責任感」も愛の一端かもしれません。
結婚したならば、二人で先にある「天国」を目指し、脇見をしないで、相棒と楽しく進んでちょうだい。力ある生活をして、爺や老婆を支えてちょうだい。